2023年2月5日(第1主日)
説教「人間の解決と神の解決:麦と毒麦」
聖書箇所:マタイの福音書13:24〜30、36〜43
1)旧約聖書・箴言 18 章 13 節に次の言葉がある「よく聞かないで返事をする者は、愚かであり、恥を見る」。この御言葉は性急な判断を戒めている。自分の判断こそ正しいと考え、性急に行動してしまう愚を私たちはしばしば犯す。
2)私たちは人間世界の現実を直視する必要がある。畑には良い種だけを蒔いたはずなのに、敵が来て麦の中に毒麦の種を蒔くこと(13 : 24-25)が起こり得るのだ。神の民の中にも、毒麦が現れたことがあった。アブラハムはじめ旧約の 聖徒たちの罪、十二弟子たちの失敗を、聖書は赤裸々に証言している。
3)神の民の中にも毒麦が育つなら、神の民の群れである教会にも同じことが起こり得る。優れた人にも欠点はあり、欠点だらけの人にも長所はある。これが人間世界の現実。聖書は、人間を美化したり英雄視せず、現実を現実として受け 止め、その中に働く神の愛と恵みのみわざを記している。
4)人間の解決:人生の現実に直面したとき、即ち、自分の畑に毒麦が育っているのに気付いた時に考える解決は「それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか」(13 : 28)である。二つの危険 ① 自分を裁き主の座に置くこと、② 良い麦さえ抜いてしまう危険(13 : 29)。雑草一本生えない砂漠と、雑草も毒麦も生えるが、同時に実も収穫できる畑と、あなたはどちらを取るか? 性急な判断は人を裁く。「裁く」は「砂漠」である。
5)神の解決:「だから、収穫まで両方とも育つままにしておきなさい。」(13 : 30) 毒麦が生えた時、抜くのではなくむしろ育ててみる。「善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ 12 : 21)。そして結果を神に委ねるのだ。パウロの師匠ガマリエルの言葉「もしその計画や行動が人から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、彼らを滅ぼすことはできないでしょう」(使徒の働き 5 : 38 b〜39)。そして最も建設的な解決は「御霊によって進もうではありませんか」(ガラテヤ 5 : 25)である。