2023年5月7日(第1主日)
説教「再臨を求め続ける祈り:不正な裁判官」
聖書箇所:ルカの福音書18:1〜8、ヨハネの黙示録6:9〜11
1)このたとえ話の中心点はルカ自身のナレーションで「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるため」(1 節)と説明されている。直前の 17 章後半で「人の子の日」(22, 24 節等)や「人の子が現れる日」(30 節)という再臨のことが語られている。また、たとえ話の8節でも「人の子が来るとき」とあるので、再臨を求め続ける祈りの大切さを説いたたとえと理解できる。
2)このたとえ話での裁判官と神との対比を考える場合、ルカ福音書 11章 5〜13 節のたとえ話での「それならなおのこと、神は〜」の思想を適用できよう。この不正な裁判官は最終的にやもめの願いを聞くが、自分の誤った考えを改めたのでは決してなく、いわんやその動機は自分の都合(「疲れ果ててしまう」)という甚だ利己的な理由であった。この不正な裁判官に対して「まして神は、・・・彼らのため、速やかにさばきを行ってくださいます」(7〜8 節)。
3)「昼も夜も神に叫び求めている」(7 節)は、黙示録 6 章 9〜11 節での殉教した天上の聖徒たちが主の地上再臨を求めている叫びと呼応している。従って「人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」(8 節)は 、否定 的な意味ではなく、むしろ「残りの民」(「一人は取られ、もう一人は残される」17章 34〜35 節)として、神への信頼を欠かないための励ましである。