2023年4月30日(第5主日)

説教「負いきれない罪の咎とその赦し」

聖書箇所:創世記 4:8〜16、ヨハネの手紙第一 1:7〜9、4:9〜10

1)創世記 4 : 11 の新改訳聖書第三版の訳:「今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。」 2017 年版は「(あなたは)追い出される」と訳出しているが、これは原文にはない補足(2017 年版の脚注参照)。つまり、神は「追い出す」とは言っていないのにカインは「追い出された」(14 節)と言い、更に「私を見つけた人は、だれでも私を殺すでしょう」とさえ言っている。カインは神が言われた以上の罪責感に苦しんでいる。この過剰な罪責感自体が「さばき」と言い得る。

2)カインの末裔としての現代の 「普通の人」 の問題は、罪悪そのものよりも罪責感に耐えられないことから生じる 「罪悪の認知の拒否」、即ち「平気でうそをつく邪悪性」にある(スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち』参照)。

3)聖書は「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、・・」(I ヨハネ 1 : 8)と語る。しかし同時に「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます」(同 1 : 9)とも語る。赦しの約束の根拠は御子イエスの十字架の死(「御子イエスの血」7 節 = 刑罰代償の死)である。

4)「宥めのささげ物を通して子とされること(adoption through propitiation)」( I ヨハネ 4 : 9〜10)。ここに神の愛がある。私たちは追い出されない。