2023年3月12日(第2主日)
説教「神の選びの意図:目を留められる神」
聖書箇所:創世記 4:1〜7、ローマ人への手紙 9:11〜16
1)「一人の男子を得た」(4 : 1)とのエバの言葉にある「男子(イシュ)」は 2章 23 節の「これを女(イシャ)と名づけよう。男(イシュ)から取られたのだ から」から察するとむしろ「夫を得た」と言わんばかり。罪の影響を受けた不健全な夫婦関係・親子関係を暗示している。「カイン」という名は「私は得た (カーニーティ)」の語呂合わせ。「アベル」の名の意味は「息」。その運命の儚(はかな)さを暗示しているようだ。
2)「主はアベルとそのささげ物に目を留められた」(4 : 4)はささげ物の良し悪しやささげる態度の故ではなく、ヘブル書 11 章 4 節によれば「信仰によって、 アベルはカインよりすぐれたいけにえを神に献げ」とあるように、神との正しい関係(=信頼関係)にあったことがその証しであった。創世記 4 章 7 節の「良いことをしているのなら」の良いことも、神との信頼関係を示している。
3)しかしささげ物の事件には、アベルの信仰カインの不信仰という人間の側の理由以上のものがある。それはアベルの「信仰」にまさる神の主権的な「選び」である。ローマ書 9 章 11〜12 節でパウロは「その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行われないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、『兄が弟に仕える』と彼女に告げられました」と語る。この神の選びとは「罪人となった人間を救うために、まず一人の人を選んで、その人を用いて神の救いの働きを行う」ための選び。神の人類救済の計画のために選ばれた一人の人がイエス・キリスト。