2022年11月20日(第3主日)

説教「手遅れの前に:金持ちとラザロ」

聖書箇所:ルカの福音書16:19〜31

1)この箇所はたとえ話ではあるが、実際にあったことの記述とも言えるほど最も劇的で深刻なものの一つである。文脈は、金銭を好むパリサイ人が主イエスを嘲笑し(14 節)、イエスが「人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われる」(15 節)と言われたことが導入となっている。

2)このたとえ話は二幕ものの劇のようである。第一幕では金持ちのぜいたくな暮らしとラザロ(その名はエルアザルの短縮形で「神は助ける」の意)の苦しみとが対比されている。金持ちは6日間働いて安息日を守る生活をせず、神への畏れも感謝も律法への服従の意もなかった。ラザロへのあわれみも示さなかった。一方ラザロは貧しく、病気であり身寄りもなかった。それでいて身の不遇を嘆く様子もなく、また神を呪う言葉も吐かなかった。後半の第二幕ではこの二人の立場が逆転する。人間の評価とは全く逆の評価が神の国では起こりうることを表している。

3)金持ちの三つの願いとアブラハムからの応答。① 舌を冷やしてほしい(24節)。② ラザロを家族に送ってほしい(27 節)。③ 普通の方法ではなく、びっくりするようなことによって家族の目を覚まさせたい(30 節)。

4)このたとえ話は「人生に逆転劇はあっても、再逆転劇はない」ことを教えている。なぜなら ① 死後、天国と地獄が存在すること。地獄の苦しみは現実であり、② 死後の状態を再度変更することは不可能であるからである。

5)いつでも悔い改められるなどと考えてはいけない。悔い改めは人間の努力でなされるものではなく、聖霊が注がれ心が柔軟になったときのみ可能な神の恵みだからである。遅すぎないうちに正しい決断をしなければならない。