2022年9月4日(第1主日)

説教「地の塩、世の光」

聖書箇所:マタイの福音書5:13〜16

1)山上の説教は、初期のディスペンセーション主義が主張するような、未来における千年王国時代と完成した神の国のためだけの倫理ではない。むしろ将来の神の国で当たり前となる生き方を現世で準備するための教えである。

2)塩の働き:味付けと腐敗防止の役目。光の働き:周囲を照らすことに存在価値がある。同様に、地の塩・世の光にたとえられるクリスチャンにも世の中で果たすべき使命や役割がある(参照 ピリピ 1 : 21〜24)。

3)塩と光の違い。塩は、自分の姿を消して他のものに浸透して行く。反対に光は、隠れることなくかえって高く掲げられなければならない。クリスチャンは塩として世の中に浸透し、社会や世界のために執り成し祈る。そして行動する。また光として隠れることなく積極的に福音を宣べ伝える。前者を「社会的責任」、後者を「福音宣教」の使命と位置づけることができよう。

4)究極の目的は、すべての神の民が神を礼拝すること(16 節、今週の御言葉)。