2023年3月26日(第4主日)
説教「この世の富に忠実に:不正な管理人」
聖書箇所:ルカの福音書16:1〜13
1. イエスの「たとえ話」とは何か
神の国(天の御国)が持つ「革命(revolution)」としての性質 →「革命」とは、昨日までの価値観ときょうからの価値観が逆さまになること・転覆すること(topsy-turvy)である。従って、イエスのたとえ話とは、神の国の「革命の絵図 (pictures of revolution)」と見做すことができよう。
2. このたとえ話(ルカ16章1ー13節)の難解さの原因
a. 9節のイエスのことばの真意 →「わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい」 主イエスがこの管理人を褒めたのはその「抜け目なさ(8節「賢く行動した)」 であって、彼の不正そのもののことではない。自分のために友をつくるとは、「全力で明日の自分を保証する執念」である。
b. 中心聖句を特定できない困難→その結果、個々人の価値観のバイアスを聖句に読み込む。伝道が大事だと思う人は9節 (「不正の富富で、自分のために友をつくりなさい」) を中心聖句とし、忠実な奉仕を信念とする人は10節 (「最も小さなことに忠実な人 は、大きなことにも忠実」) こそ中心聖句と考え、清く貧しく正しくの清貧の思想者 は13節 (「神と富とに仕えることはできません」) が中心聖句と考える。
3. たとえ話解釈の手順
a. たとえ話の対象者 →ルカ15章のたとえ話は「取税人たちや罪人たち」(1節)や「パリサイ人たち、律法学者たち」(2節)が聴衆であった。しかし16章1節では「イエスは弟子たちに対しても」とあり、たとえ話の対象者が未信者や求道者ではなく、クリスチャン(イエスの弟子)であることが分かる。従ってこのたとえ話のポイントは、神の国の説明や神の国の入り方ではなく、すでに神の国の市民となった弟子たちのライフスタイル即ち「弟子 道」である。
b. たとえの比喩
① 主人(神様)
② 管理人(クリスチャン)
③ 不正の富(神のあらゆる被造物は、人類の堕落以来今日まで「盗まれた状態(所有権の 横領)」にある。従って、不正の富とは私たちが運用することを許されている(創世記1 章28節)地上の富(お金・時間・教育・賜物・職業・機会 etc)である。
c. たとえ話に見る「現実的な視点」
① 管理人は苦境に陥っていた(1節ー2節)
② 問題対処の能力と資質に欠けていた(3節) → 現実を直視し、受け入れる必要
d. たとえ話に見る「将来を展望する視点」
① 知恵を絞った(4節)
② 明日の自分につなげるために、きょうのリソースを最大限に活用する「将来への備え= 執念」(9節) 一時的なものと永遠の価値のあるものとを識別し、人生そして信仰生活の優先順位を確立することこそが「知恵ある生活(クリスチャン・スチュワードシッ プ 榊原康夫師談)」である。(8節) →「人は、1万円あげると言うと喜ぶでしょう。しかし、1兆円あげると言われると、たちまち困ってしまいます。(中略) それは、人の考えることは、絶えず短期的なものであり、永遠という観点から物事を見ることをしないため、1兆円の資金にはとまどいを感じるのです。私たちは、この地上の家を去って、天上の家に住む時が必ず来ることを見越して、不正の富(この世の富)を用いていかなければなりません」(中川健一師談)
e. 管理人の「実践力・行動力」
① 計画を立て、実行に移した(5ー7節)
計画をすぐ実行に移す行動力 →「あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。 そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。」 (ピリピ人への手紙 4章9節)
② 自分の裁量で活用できる富を用いた→とてつもなく大きなことから着手する必要はなく、目の前にある小さなことから始めれば道は開かれる(10節)
③ 従って「富」とは信仰者が仕えるものではなく、むしろ目的である天の御国・神の国のために用いるものである。本末転倒してはならない(13節) 地上の富 (不正の富) は所詮、一時的なものである。
「つまり、私たちは、今歩んでいる人生において、地上の富を、天の御国で自分を迎えてくれる人々をつくるために使う必要があるということです。主イエスは・キリストは、御自分の弟子というものは、地上の富をそのように用いるように変えられた人であり、そういう人は幸いな人だとおっしゃっているのです。」 (日本キリスト改革派教会 鈴木英昭師談)