2023年1月1日(第1主日)

説教「存在で始まり関係で進む伝道」

聖書箇所:哀歌 2:18〜19,マタイの福音書 9:35〜38

1)2023年も私たちの教会は「福音宣教する教会」でありたい。そしてそのために心を尽くして祈りたい。一方、日本という土壌での宣教(伝道)には注意も必要。マタイの福音書で証言されている主イエスの姿勢から学びたい。

2)文脈は「12 弟子の派遣」(9 : 35〜11 : 1)である。派遣の説教に先立って、派遣のきっかけと12 使徒の任命が記される。本日の箇所は派遣のきっかけ。

3)主イエスは「待ちの姿勢」ではなく、ご自分から出向き、ガリラヤ地方の町々村々を行き巡った。神の国の到来を宣言し、その力を証明するために病気の者たちを癒やした。群衆の姿は、ゼカリヤ書 10 : 2―3 やエゼキエル書 34 : 5 またはエレミヤが捕囚の民を哀歌した姿を彷彿させた。「深くあわれまれた」(36 節)と訳されたギリシャ語「スプランクニゾマイ(σπλαγχνίζομαι)の原意は「内臓が揺り動かされる」「断腸の思い」。英語の compassion(思いやり・あわれみ)とは com(共に)+ passion(苦しみ)が語源。

4)即ち、主イエスはいわゆる「伝道」をしたのではなく、罪の苦しみの中にある人々と同じ目線で連帯し、まず彼らの真の友になられたのであった。

5)従って伝道、特に日本の土壌での福音宣教で肝心なのは、未信者を「伝道の対象」と看做すのではなく、彼らの真の友となる関係構築「耕やす伝道」に専心することである。存在で始まり関係で進む伝道が大事(別紙参照)。

6)伝道とは、完成品のクリスチャンが未信者に何かを教え込むことではない。福音は結局のところ「人格」を通して伝わるものであることを私たちは忘れてはならない。人格を通しての伝道。そのような働き人を主は求めておられる。