2022年7月17日(第3主日)

説教「狭い門から入る賢明さ」

聖書箇所:マタイの福音書 7:13〜14

1)「狭き門」の与える印象。例)大学入試。もし天国が受験のようなものであるなら「定員制」になってしまう。信仰の「良い成績」が必要なのか? 

2)ルカの福音書 13 章に並行記事があるが、マタイの記事の特徴を挙げると、①マタイは「門」とともに「道」という語を記している ②マタイだけが「狭い門と狭い道」と「広い門と広い道」を対照させている。では、ルカの強調点とマタイの強調点の違いは何か? ヒントは点(ルカ) と線(マタイ)。また、マタイは一方を採らないことが必然的に他方を採ることを暗示し、「至る」ということばを添えることで最終的なゴールを明示している。ゴールまで走り切ることの大切さ(II テモテ 4 : 7―8)。 

3)狭い門の「狭さ」とは何か? クリスチャン生活が長くなった人が気をつけねばならないこと: ① 初心を忘れ、恵みによって救われたことを忘れる ② 恵みを忘れることで自分の努力を誇る高慢—狭さとは恵みの理解と謙遜

4)主イエスは「門」(ヨハネ 10 : 9)であり、「道」(同 14 : 6)である。